あちらこちらで、介護者の悲鳴が聞こえてきそうな老々介護の実態、この分野にこそAIをとわたしは思う

  17, 2019 05:30
わたしの両親は、二人とも病名は異なるが、脳卒中に倒れた。
父は、5度目の脳梗塞発作で、ついに還らぬ人となった。
脳卒中が怖ろしいのは、例え命が助かっても、
身体の麻痺を伴い、病後生活の質を落としてしまう事だと、

両親のことで、実感している。


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夫の叔母が認知症になり、要介護度5になった時点で、わたしたちは叔母の介護について話し合った。
叔母を在宅で介護したい、自分が仕事を辞めてそうする、とまで言った夫。

わたしは大反対だった。
叔母に愛情がないわけではない、むしろ愛している。

けれど、認知症や脳卒中を患った人の介護は、プロでも投げ出したくなることがあると言う。

愛情さえも、介護の過程では消滅してしまう危険性をはらんでいる。
そして、その愛情があるがゆえに、介護をできない自分を責め、介護者自身を追い詰めてしまう。


わたしが夫に、叔母の在宅介護を反対した理由の一端は、両親の介護の苦い過去があるからだ。
その過去は、今もって自分を責めることもある。

それは、父の二度目の脳梗塞発作64歳、もう27年も前のことになる。
右半身麻痺、言語障害が残った父の介護をどうするか、姉妹で話し合った。

わが家は、女ばかり4人姉妹で、姉と次女のわたしは嫁いで家を出ていて、三女が家の跡取りだった。

姉妹はみんな、まだ若かったから、子どもたちも母の手がかかる年ごろだった。

結局、母と三女が家で父を介護し、姉とわたしは時々、妹に代わる。
そんな取り決めを姉妹の間で話し合ったのだ。

その頃の世間の風潮は、老人ホームになど親を入所させると、
子どもや連れ合いは、大げさではなく人非人扱いだった。

「 自分の親をよくもまあ、姥捨山に入れるね! 」と、言うような。

父の介護のメインは母、三女は夜に交代する。
介護を始めた当初は、バリアフリーも整っていない家で、レンタルの介護ベッドを使用し、
その横にはポータブルトイレを置くだけのスタートだった。


古い家屋の床は畳敷きのまま、トイレもお風呂場も、洗面所だって、バリアフリーなどからは程遠い。

利き手が使えないことは、食事、排せつなどの日常の様々な動作に不便を伴う。
水道栓にはタオルを巻くと、左手でも使用可能になると、作業療法士さんに教えてもらい、練習の末できるようになった。

食事はスプーンを持った左手でも食べやすいように細かく刻み、
滑り止め付の食器に盛り付けることでこれもまた、何とかできるようになった。

父もよく耐え、頑張った。
こうして父の自宅介護がスタートしたのだ。

姉とわたしは、やれ子どもが熱を出した、仕事の段取りがつかないなど。

当初の約束はどこかに行き、自分の親の介護もできず、母と三女にほぼ任せっぱなしだった。
たまに実家に帰って、母と三女と交代しても父の介護は楽なものではなかった。


脳卒中の後遺症で、言葉を無くした父は、何かにつけて苛々と、介護するわたしたちに当たり散らす。
穏やかな父が、豹変する様を見るのは耐えられない思いになる。

意思の疎通ができないと、母の作った料理を投げつける。
そして、昼夜転倒し、夜になると母や妹を起こすのだ。

母と妹に疲れが目立ったころ、わたしは三日間、二人と交代した。
温泉旅行に出したのだ。

父のベッドの横に置いたサイドベッドに寝ていると、父がわたしを起こす。
ベッドの柵を、指先でカンカン、コツコツとリズミカルに叩く。
それでもわたしが起きないと、麻痺のない左手で枕を、わたしのお腹に投げつける。

それが一晩に何度もなんども。
静かな夜に、響き渡るカンカン、コツコツは耳を塞いでも聞こえる。

一晩でわたしは、家に帰りたくなった。

目を覚ましたわたしに、父は水をくれとか、布団を直してとか、言うのではなく。
ただ自分一人で起きているのが嫌で、起こすのだと分かった時、

わたしは、寝不足と怒りのあまり、父を怒鳴りつけた。
わたしの怒りに驚いて、眠る父を見ながら、後悔の涙が次から次へと出てくる。


本当に情けない思いでいたのは父なのに。
突然、身体が不自由になり、今まで出来ていたことが出来なくなる。
そんな自分に腹立たしいのは、父のほうであるのに・・・・・・。

帰りの車の中でワンワン泣きながら、たまにしか行けないのに、
なぜ、私は父に優しくできないのだろう。

と、自己嫌悪に陥り自分を責めることしかできないあの日々。

介護とは、極端に言えば、親の命が尽きるときが、終わり。
それは先の見えない暗闇を彷徨っているような感覚に捉われる。

そして介護の疲労は、目に見えない形で、介護者の体と心に、
とれない疲労となって積み重なっていく。
介護は、愛情と責任がある分、介護者の疲労が大きくなる。

その疲労は、思わぬ形で患者を殺めたり、殴りつけたりすることに繋がる。

AI寵児を生んでいる今こそ、認知症患者や脳卒中患者の介護という分野に、感情を持たないAIを導入すべきだと。
わたしは、心から思う。








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