虐待を生きることができた理由を、わたしはこう思うのです

  13, 2018 05:00
わたしがR君と初めて会ったのは、小学校二年生。
T学園という、複雑な環境の子どもや虐待されている子たち、
親と一緒に住めない子どもが住んでいるところです。

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こんにちは、と声をかけると、俯いてはにかむような顔が、印象的でした。
学園にいる子は、みな、互いに事情には触れないのが、暗黙のうちの了解だったようです。

R君は、お笑い漫才師のように底抜けに明るい、Y君と一緒にいつも、読み聞かせに来てくれました。
無口な彼と、Y君との組み合わせは、他の子どもたちにもいい影響を与えていたようです。


そのR君が変わってしまったのは、小学校5年生のとき。
T学園に、母と義父が頻繁に面会に来るようになってからでした。

無口でも笑顔を浮かべるのが、笑わなくなりました。
この間の事情はあまり詳しくはないのです。

けれど、読み聞かせ会に来ることが、間遠くなり、ついにはその一年は、まったく来なくなりました。

そして、学園を抜け出したりするようになり、問題行動が多くなりました。


その二年間、R君の苦しみを周囲がもっと早くに察知していれば、と。
先生方も悔やまれたと思います。

中学校に通うころには、もう一端の不良になっていました。
眉毛を剃り上げ、髪の毛を金髪に染め、喫煙をする。
挙句の果てには、お酒を飲んで急性アルコール中毒で救急搬送されることが続く。

手の付けられない悪童になったR君が、どうして立ち直ろうとしたのか。

R君は、三歳くらいまでは母方の祖母に育てられていました。
その人は、愛情豊かで心優しい方だったのです。

シングルマザーになった娘と一緒に、孫のR君を育てていました。

虐待を受けづづけていた子どもは三歳くらいまでに、愛情を一身に受けて育つと立ち直ろうとする力がある。
そういわれます。
脳の前頭葉の発達は、三歳までに決まるからです。


その大切な期間に、愛を与えられると、感情面で重要な、愛を学べるからです。

学んだ愛は、脳にしっかりとインプットされています。
その以後に虐待を受け続けても、愛は前頭前野に記憶されているのです。

虐待から救出されて、新しく愛を与えられたら、脳は心を取り戻すのです。

R君の場合がまさに、そうだったのでしょう。
手の付けられない不良になってしまっても、脳には祖母の愛が溢れんばかりにあった。

それが、立ち直ろう、これではいけない、おばあちゃんを悲しませてはいけない。
心を取り戻してくれました。

このR君の感情こそ、真の愛情だとわたしは思うのです。


R君は、自分の言葉で、しっかりと工場の社長さんと約束しました。

「 一人前の溶接工になって、おばあちゃんと一緒に暮らす!楽させてやりたい 」


その言葉を、もう一度、わたしにも言ってくれました。
人は、たとえ100人の敵がいたとしても、一人でもいい、自分のことを見守ってくれる人がいてくれたら。

生きていくことができるのではないでしょうか。


R君はわたしに、本を読む以上のことを、教えてくれたように今も思っています。

彼が、「 おばちゃんうざいわ! 」と言うまで、わたしはR君と関わっていこうと思っているのです。
お節介ですよね。笑)

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