人生は、ときどき、素敵な贈り物を用意してくれる

  26, 2018 05:00
最近、ブログなどのSNSでいろんな方々と交流するようになった。

「 自分の居場所づくり 」を模索しているうちに自然と、ブログという手段に行きついた。

わたしは、今の『 自分の時間 』の過ごし方に満足している。


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でも、夫は違うのではないだろうか。

ふた昔前なら、還暦を過ぎると、残りの人生は、【おまけ】的な響きがあった。
でも、医療が進み、栄養状態、衛生面で飛躍的な向上を遂げた今は、60歳は通過年だと思う。

六十代をゴールデンエイジと呼ぶそうだけど、案外にそんなところから来ているのかもしれない。

晩婚化によって、高齢出産が多くなった今の家族構成なら、両親が60歳を迎えても、
子どもはもしかしたら、まだ学生ということもあり得る。


通常より少し遅くに初産を経験したわたしも、
自分の両親のように平均寿命以下で死んでしまうと、早くに子供と別れなくてはならない。

幼い子供に対し、

「お父さんとお母さんのどっちが好き?」と訊くのは子供の心を捻じ曲げるといわれている。

けれど、わたしは母が好きだった。

大人に訊かれたら、即座に

「 おかあちゃんが、好き!」と答えていた。


わたしたち姉妹は、母の亡きあと、遺品の整理をしながら、あまりに少なく、遺品などは何もないことに愕然とした。
写真は数枚、それも父の後ろに写っている母がいるだけ。

なぜか、ビデオにも撮影されていない。



いくら大好きでも、在りし日の母をすぐに思い出せることが年々、困難になってきた。
こうしてブログを日々に書き連ねるのも、そんな薄れゆく過ぎ去った記憶を、呼び戻したい、という願いがあるのかもしれない。


そんなことから、わたしが死んだあとの娘も、もしかしたら何もない母に愕然とするのではないだろうか、と思うのだ。

還暦後も、できる限り、日々の暮らしの中で、思い出を一頁ずつ、ブログを通じて、重ねていきたい。
そんなわたしの心にある想いと呼応するかのように、昨夜、娘がポツンと呟いた。

「 お母さん、元気なあいだに、昔のいろんなことを聞かせて、年表にするから 」
と言うではないか。

娘は、小さなころから、自分の大切な人について、見聞きしたことを、社会科の教科書の裏にあるような、
年表にして絵に描いたり、パソコンに取り込んでデータ化することをしている。

そこに、母の年表を新しく作成していこうというのだ。


正直、うれしかった。
わたしにとって、来年の還暦は、娘のその言葉によって、心に刻んでおきたい格別な年になる。

60歳を迎えることなく、死んでいった大勢の親せきの人々の口惜しさを、わたしが払拭できるかもしれない。


ときに人生は、娘の手をかりて、年表が作られるという、素敵な贈り物を用意してくれている。
下駄を鳴らして奴がくる、という歌があった。

人生の、山や谷、坂道、草原、雑木林という起伏に富んだ風景が、素敵な贈り物に姿を変えてやって来ることもある。

娘の何気ないひとことが、ウツウツとして腐る日々を、帳消しにしてくれそうだった。






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