定年後、夫はそしてわたしは、どう生きよう

  25, 2018 05:00
話し合った末、12月退職する、と決めた夫と、そうしてほしいと言ったわたし。
決めたその後は、退職後のことを、これまでのように話さなくなった。

長い仕事人生を終えたら、夫には、花束の一つでも渡して、「長い間、ご苦労様でした」
と、サプライズパーティーのようなのを企画してもいいな。

サプライズの中には、勤務していたドイツへの旅する、飛行機のチケットを添えてとか。
そんな絵を、わたしは頭では描いていた。

実際に定年退職が現実のものになってくると、不安が呼ぶ邪念が、その図を振り払う勢いで迫ってくる。

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夫と結婚を決めたのは、その性格によるところが大きい。
杓子定規でカチコチで、頑固で、柔らかさがなく、頭でっかちのわたしには、夫の緩い性格が好ましくうつった。

それまでのわたしは、【 ゆるかったり、ぬるかったり 】する人間付き合いは、まったくできなかった。
したいと思わなかった、というほうが正解かもしれない。

けれど、人が人に癒されるのは実は、
ぬるい関係性を保てる相手になのだなと、夫と結婚して三十年を経た今のわたしの気持ちだ。



たとえば、交通事故に遭い、自分は痛みの中でのた打ち回りながらも、死ぬと分かっている。

そんな極限の状況におかれたとき、叱咤激励しつつ、
「傷は浅い、しっかりせよ!」と言われることと、


そっと傍に寄り添い、冷たくなる身体を包むように抱きながら、

「私はここに居るからね、ずっとそばに一緒に居るから」

そう言ってもらえたら・・・・・・。

死ぬ恐怖のなか、自分は一人ではない。

朦朧とする意識、目がかすんでくるけれど、誰か、自分のことを気にかけてくれる人がいる。
その安心感に包まれながら、死んでいける。



ぬるい関係性を保てる人とは、極限に於いては、そんな人ではないだろうか。

夫との結婚生活の間には、この性格に苛立って、離婚、の文字が頭をよぎったこともある。
しゃかりきに根詰めて働く、家庭を顧みないでがむしゃらに働く、企業戦士のような夫が理想なのだと思っていた若いころ。


夫も仕事人間ではあったけれど、猪突猛進型ではなかった。


定年という、クールダウンをする今、わたしは、老後を共に生きていくには、ぬるい夫の人間性を、有難いと思っている。
と、まあ、正論を書くと、こうなる。



ところが、実際問題として、その緩さ、ぬるさ、のんびりさ、に大丈夫だろうかと、案じてしまうのだ。

あと三か月と少し。


ずっと心に思い描いてきた、
定年になった夫に、感謝状と花束と、妻からの勤続ご苦労様手当てを添えて。

このサプライズを果たして、実行できるだろうか。

先だっても書いたけれど、定年後の暮らしへの不安を占めるのは、やっぱり経済的な問題。
そのむかしは、夫の勤続年数だと、もう少し潤沢な年金が支給されるはずだった。

今では、その半分に満たない。
歯がゆく悔しいのは、妻のわたしよりも、ほんとうは夫のほうだろう。

政策にたてつかず文句も言わず、デモも起こさずに、庶民は与えられた現状と不条理な暮らしを、受け入れるしかない。
いくらのんきな夫でも、腹だしい想いを抱いているだろう。

「 頑張ろうね 」と、軽く、けれど力強く、言えたらいいのに。

最近のわたしは、夫にそう声をかけるより、自分がかけてほしいとばかり思っている。

サプライズパーティーもいいけれど、夫はその言葉の方が、うれしいだろうに。
愚妻とは、まさに、わたしのことかもしれない。








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