スマホ片手のおかあさん、どうか子どもを愛してやって

  12, 2018 05:00
昨日は、マクドナルドでお昼ご飯を食べた。
出先には、ランチなどと洒落た食事をする店もなく、国道沿いのマクドに入るしか空腹を満たすすべはない。

カウンターで注文したチキンフィレオセットを持って店内を見渡していたとき、2、3歳の幼女が二人、わたしの視界にはいってきた。

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二人は、目と目で互いの距離を推し量っている。

その距離とは社会性ということだろう。
本当に驚いた、このような幼女がもう、相手を悪く言えば『値踏み』しているのだ。
そして、互いが自分にとって合うか合わないか、そこのところを推し量っている。

それも、じっと目を見るのではなく、相手が見ようとする寸前で、ちらっと逸らす。
うーん、私より、世馴れているじゃないか、この二人は (;^_^


マリンルックに身を包んだ幼女は、父親らしき男性と一緒に来ている。
甘えるその仕草の一つ一つを、父は携帯電話のカメラに収めている。

もう一人、片側の幼女は母親らしき女性と一緒だ。
しかし母親らしき女性はスマホに夢中で我が子に微笑むでもなし、話しかけるでもない。

ジュースを口に運ぶ子どもと、スマホに忙しなく手を運ぶ女性。

その幼女二人が、互いに相手を視野に捉えた。


その瞬間を私は観ていた。
方や出来うる限りの世話を焼かれ、方や同じテーブルに着きながらも、無関心状態に置かれている。

この二人の幼女の違いを、マクドを食べながら考えた。


赤ん坊のころの臍の緒がきれても、子ども時代は、目に見えない紐で親と繋がっている。

しかし、その紐はゴム紐のようにしなやかで充分に伸びる。
親はゴム紐を持つ手に力を込めたり緩めたりしながら、子を見守る。


ゴム紐は強く引っ張ると相手に痛みを与えてしまう。
その力加減こそが、愛情なんだろう。

子どもは、親と繋がっている安心感からどんどんと遠くへと冒険に出る。

どんなに遠くへ行こうとも、振り向けばそこには繋がっている親がいて、いつでも自分を見ていてくれる。

そうしながら子どものゴム紐は引っ張ってもパチンと切れることなく、しなやかで丈夫なものになっていく。

いつか、自分でそっと親との繋がりを切るまでは。

父に思うぞんぶん世話をやかれている幼女。
そして、スマホに夢中で我が子を見ようともしない母と幼女。

出来得るなら、スマホ持つ手で隠れているけれど、その母の手にも、ゴム紐が握られていますように。






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