母の愛は太陽のように輝き、父の愛は月の光のように静かに光る

  02, 2018 05:00
小津安二郎監督の【 晩春 】をDVDで観た。
娘役を昭和の名女優、原節子、父親をフーテンの寅さんでお馴染みの午前様、笠智衆さんが演じていた。

倹しいながらも、父と娘は、これまでずっと寄り添うように生きてきた。
母を早くに亡くし、父の世話をしながら娘の紀子は、適齢期を迎えていた。
父は、娘の婚期が自分のために逃してしまうことを案じ、自分も再婚するからと安心するように諭す。


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ようやく、紀子も渋々ながら、父の再婚を認め、自立への道を考え始める。
けれど映画のこのシーンでは、その再婚相手を盗み見る紀子の、凄まじいまでの目線に、今風に言うとちょっと引いてしまう。


世間一般には、父親というものは娘を嫁にやることは、身を切られるような想いになると言う。
ところが、娘もまた、父の再婚相手に対し、嫉妬に似た感情を抱くのだろうか。

晩春の父と娘の間には、むしろ、父は嫁に行った方がいいと思い、娘は父を一人残していけない。
娘の感情を懇切に描いているように思う。

そして、ついに父の再婚相手を知る日がやってきた。

この紀子の目は、嫉妬ではないかと私には見えてしょうがない。

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わたしは、画面の父と自分の父を比べてしまう。
わたしの父は物静かで、生真面目を絵に描いたような人だった。
自然を愛し、山登りが好きで、特定の木々を慈しみ、休日ともなれば、一人山に向かい、幾日も帰らないことがあった。

静かな人、そう見える反面、子ども心には、父の冷たさが悲しかった。


姉の嫁入りのときは、さすがに父も感情を露わにし、姉にいろいろ言い聞かせていた。
けれど、次女のわたしの結婚など、眼中にないというふうで、「 ふうんそうか 」、だけだった。


ずっとわたしは、父は姉以外の子どもを愛していない、と思っていた。
もっとも、このころは、愛している、なんていう言葉は知る由もなく、ただ父恋しという認識だったと思う。

わたしも父に、「 ほんとに嫁に行くのか、大丈夫か? 」と言ってほしかった。
姉の婚約者に言ったように、わたしの夫になる人にも、息子のような声掛けをしてほしかった。

仲人さんと挨拶に来た夫は、何も知らないけれど、わたしは、ここ、同じこの座敷で、
将来の義理の兄になる人と父の会話を、この耳で聞いたのだ。


父に対するわたしの想いは、どんどん父から離れていく。
お互いに性格も似ているからだろう、接点をもてないまま、わたしは嫁いだ。


映画の、不器用な父の姿が、わが父に重なって見えた。

父の愛を象徴する言葉に、母の愛はすぐに心に手が届く、父の愛は、あとになってじんわりと分かる。
と言われる。

わたしの父もそうだったのかもしれない。
自分とあまりに似ている性格の娘に、感情をさらけだすことはできなかったのかもしれない。

父が生きている間に、わたしも映画の父娘のように、
分かり合える、分かろうとする、そんな努力をすればよかった。





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