日々の暮らしのなかから愉しみを見いだし、希望を失わずに生きていきたい

  03, 2018 05:00
大家族に嫁いだ母の唯一、大っぴらに外出できるのが、盆踊りと秋のだんじり祭りだった。
外出嫌いで家にいて縫い物などをすることを好んだ母も、この二つの行事は、自分から進んで出かけていた。

夏には、縁側に近い座敷に蚊帳を吊って、母と子どもたちが一緒に寝る。
蚊帳の内には、布団を敷いて、その枕元には、早い時刻からみなの、浴衣が置かれていた。

夕飯を済ませると、お風呂にはいり、おでこや首筋に、天花粉をはたいてもらって、浴衣に着替える。

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大家族の世話に明け暮れる日々のなかで、このように季節の行事があることは、主婦としての心弾むひと時であったのだろう。
風呂上がりのさっぱりした身に、浴衣をまとい、薄く紅をさす。
縁日には射的場もあり、地方からの露天商の、なにやら怪しげな品物も売られていた。

盆踊りの櫓の周囲をぐるりと取り囲むように、屋台が出そろうのも、夏と秋のお祀りだけだった。
映画を自由に観ることもなし、喫茶店でお茶など、有り得ない時代の、家の主婦の慰めは、季節を愉しむことだったのだ。



77歳で死んでしまった母は、生前、臓器提供をしてもらいたいと希望していた。
いつからか、ドナーカードを肌身離さず所持するようになっていたようだ。

その最期のとき、延命措置等は母の遺言に添って、断ることはできたのに、
臓器提供だけは‥‥‥、どうしても、できなかった。


脳死判定がおりる、まだ温かな身体にメスを入れ腎臓や角膜をとることを想像すると母の願いであっても、できなかった。
それは理屈ではなく、まだ生命の炎が消えていない母から臓器を奪うように思えてしまったのだ。

母の葬儀後、愛用の手提げ袋の中から、ドナーカードが出てきた。
そして、そのカードと重ね合わせるように、一枚の写真が入れられていた。


それは、母が亡くなる数年前の、盆踊り大会の写真だった。
小さな娘とわたし、そして母が写っていた。

bonodori.jpg


体の奥の方から、突然、懐かしさと哀しみが、同時に押し寄せてきた。

母を喪い、還る拠り所がなくなってしまった喪失感を、一枚の写真が思い出させた。

すっぽりと在るべき場所にあった母の陽だまりのような部屋が、心から消えてしまう心もとなさを感じ、
わたしは写真を手にしたまま、泣いた。

もう大きくなった娘が、わたしの背中をよしよしするように、そっと撫でてくれる。


好きな盆踊りで弾む心がそうさせるのか、あの夜の母は、はち切れんばかりに、若々しく見えた。


インターネットで世界を見、SNSで時空を超えて見知らぬ人と交流し、車を運転して遠出もできる、今のわたし。
母とは異なる愉しみが、暮らしの中にある今のわたし。

あのころの母の愉しみと比べると、時代の差とはいえ、なんと自由を謳歌していることだろう。

それでもわたしも、盆踊りは毎年、指折り数えて待ちわびる。
踊りの輪の中には入っていくことはないけれど、そこに立っているだけで、小さなころに出会えるような気がするからだ。


今、いろいろと自由を謳歌しているわたしも、
あのころの母と、まったく同じように、季節の愉しみを、心待ちにしていることに気が付いた。

身のまわりで、日本で世界で、この地球上で起きている、
様々なことに、たまには怒り愚痴を吐き、
時には瞼を熱く濡らす感動に涙しながら、

決して希望を失わずに生きていきたい、あのころの母のように。










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