「 おじいちゃんが死んだらお墓に参ってや 」 そう言うと、祖父は穏やかな顔になった

  27, 2018 05:00
近頃は、自分の葬儀を生前に計画して、事の子細を遺言に残す人も多いという。
葬儀は家族だけで送って、遺骨は海に流して、好きな樹木の根元にまいてほしい、など。
従来の葬式に、はて、と思う人が増えてきたのだろうか。


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わたしも60年近く生きてきて、
義父、両親、妹を送り、親類縁者、知人などいろいろな葬儀に参列してきた。

ただ、そのいずれもが、従来の日本の葬儀だった。
お坊さんが読経し、参列者が遺族にお悔やみを言い、焼香するという葬儀の形だった。




葬儀が終わると、一同は火葬場へと移る。

仮通夜、本通夜、葬儀、火葬とあまりに目まぐるしく、悲しみに暮れる間もない。
荼毘に付された命は、遺体という名称に変わり、そこには個人はもういない。

個人は、死んだ途端に故人に変わる。


わたしが、不思議だなと思うのは、自分の葬儀を計画する人は、ここには触れていない。
どうしてだろう。

生きているうちに、葬儀を計画するのに、何故、それ以降はないのだろう。

ふと、ここでわたしは祖父のことを思いだす。

わたしの祖父は、八月十五日、日本が戦争を終わりになった日に死んだ。

成す術のない、末期の胃癌だった。
いわゆる、インオペという、開腹はすれどもそのまま閉じたという状態。
癌のシコリは、胃から飛び出て、肝臓、腎臓、膀胱に至るまで、腹腔内をびっしりと覆いつくしていた。

祖父は知ってか知らずか、そのうちに自分の死を公然と話すようになっていく。


ある日、母と見舞った孫のわたしに、

「 おじいちゃんが死んだらな、みんなでお墓に参ってや 」と、衰弱のために出ない声を振り絞るようにして言った。

あのとき、祖父は寂しかったのではないだろうか。
死をある意味受け入れていた様子だったけど、やはり死は怖い。

でも、殆どの人は、段階を経ながらも、死を受け入れる。
それしかないと、衰弱する体が叫ぶのだろう。


死と取引きすると、あとに残るのは、自分が死んだあとに、誰も自分を覚えていてくれない、
という、やるせない寂しさ。

お墓も事情が変わりつつある。
先祖の代々の墓を守る人が絶えた家の墓をどうするか、問題も多くあるという。



「 わかったよ、おじいちゃん、みんなでいつも交代でお墓に参るから 」と孫のわたしが言うと、
祖父は、首をかすかにもちあげて、わたしを安心しきったように見た。


わたしの祖父に関して言えば、お墓は死んだあとも、自分が生きているみんなから忘れ去られることのない、
安住の地、安らかに眠る場所ではなかったか。

それは、死んだあとも自分がずっと、居る場所。

わたしが千の風になってあなたに逢いに行ってる間も、
わたしが疲れたら、戻る場所。


もちろん、自分を忘れないで逢いに来てくれるのは、お墓に限らない。
それでも、自分の死を計画する人も、もしかすると、お墓という安住の地を消してしまうことはできない。

安住の地はお墓、それは当然だから、計画書には書かないのではないだろうか。








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