夕焼けを見ると思い出す、子どものころの楽しかった夏休み

  03, 2018 05:00
ふるさとの町から消えてしまったものは、数知れない。
シャッターが降りた商店街の漬物屋さん、下駄を売る店、
子どものころに見た風景は、帰るたびに消えていく。

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わたしのふるさとは、大阪南の地方では3番目に大きな町だった。
今ではシャッターが降りてしまった商店街は、年の暮れともなれば、
迎春準備に追われる買い物客で、アーケードは身動きできないほど、ごった返していた。



それでも、海と砂浜を染める夕焼けだけは、いつまでも変わらない。
わたしのふるさとにはないけれど、隣町には海水浴場があり、白い砂浜が残されている。


子どものころの夏休みには、家族で海水浴場に行くのが、わたしの一番の楽しみだった。
砂浜の海の家では、頭がキーンと痛むくらい冷たく、甘いカキ氷が売られていた。

母からお金をもらい、砂浜を走りカキ氷を買いに行く。

あまりの冷たさに、痛む頭を押さえながら、姉妹がお互いに舌を出しては、色を見せ合う。
イチゴシロップの好きな妹は、真っ赤な舌を見せては、キャアキャアとはしゃぐ。

父がいて母が笑っている。
カキ氷で冷えた体を、太陽に熱された砂浜に寝転んでは温める。

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砂浜では、父と母が横並びに座り、夕日が染め行く海を眺めている。

見ているわたしは、うれしくてたまらない。
お父ちゃんとお母ちゃんが、仲良うしてはる。

わたしは、安心していられた。

それは滅多にない、家族だけの風景だったから。

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夕焼けに特別な想いをだくのは、わたしだけではないと思う。
一日の業を終え、沈み行く太陽の、どこか宗教めいた荘厳さに、人は心うたれるのだろうか。


記憶にある、昔の夕日は美しかった。

赤い夕焼けの色は、季節が進むごとに、微妙に色合いを変えて行く。
温度が高い季節ほど、夕焼けの色が濃く赤くなると、この海で父が教えてくれた。



夏休みが終わり、学校が始まる。

ドボルザーク (ドヴォルザーク) の家路のメロディーが拡声器をとおして流れる。

呼応するかのように、校庭を染める夕日は、夏休みの赤より薄くなり、それは、秋を予感させ、日が短くなることを告げていた。


夕焼けは、長い休みが終わる寂しさと、子どもたちに、原っぱでの遊びを終わらせ、家に帰る刻限を告げる。
空が赤くなると、どこからともなく、ご飯よ、と声がかかる。

声を聞くと、みな、蜘蛛の子を散らしたように、家路を急ぐ。

一日が終わろうとする、無性に寂しくなるあの気持ちを、わたしは夕焼けの記憶に残している。



夕空晴れて秋風が吹くころの、あの寂しさを教えてくれたのは夕焼けだった。

町からは、いろいろなものが消えたけれど、
心の深いところにあるわたしの心の風景は、決して消えない。
わたしが生きて、記憶を手繰り寄せることができる限り、消えない。







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