わたしも、こんなふうな大阪のおばあちゃんになりたい

  02, 2018 05:00
ちょっと前の話しになるけれど、わたしはよくお参りする山寺の、石段10段のてっぺんから落ちたことがある。
たまたまその日は、黒のパンツスーツを着ていた。
そのパンツは裾幅が広いタイプで、山寺にお参りするにはふさわしくなかった。

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裾が、履いていたパンプスに挟まって足元がよろけたわたしは、真っ逆さまに石段を転げ落ちた。

ドスンと音が響いたほどの衝撃で、倒れているわたしの姿を見ながら、通り過ぎる人々。
怪我人のわたしを一瞥だにせず、通り過ぎたその人々の中で、唯一、おばあさんの団体は違った。


年の頃は80を過ぎているだろうその人たちは、
ドタドタと足音荒く、血だらけのわたしの元へと素早く、駆け寄ってきた。
そうして、口々に大丈夫か、と声をかけると、山寺の関係者を呼びに行こうとした。

それより先に、同行していた娘が、寺の関係者を連れて来たけれど、確かにおばあさんたちは呼ぼうとしてくれた。


軽いショックだったのか、わたしは寒くて震えていた。
すると、一人のおばあさんが上着を掛けてくれ、やさしく寄り添うようにしてくれた。

これが、そのときのわたしにとって、どれほどうれしく、心強く、ありがたかったか。
言葉で語り尽くせないほどのものだった

もしかすると、大怪我かもしれない、頭を打っているかもしれない、背骨は大丈夫だろうか。
そんな不安の真っただ中にいて、わたしはさらにショックによる寒さで、ガタガタ震えていたのだ。


そうこうするうちに、救急車が到着した。


血だらけの怪我人を見ても、気付かないのか、無関心な人々の中にあって、
気付いた途端に、行動を起こしたおばあさんグループの、これらの違いは一体、どこから来るのだろうか。



無関心な人々のその表情に対し、おばあさんたちには、驚きの表情がくっきりと表れていた。
人は仕事にも生活にも、熱中するものがなくなると、心の奥にある、いろいろな欲もわいてこない。
だいたい、年を重ねることで、人は、あらゆる欲望が希薄になっていく、と思われている。



おばあさんたちには、好奇心というあくなき欲が、まだまだ、心どころか体中から溢れていた。
無関心の人たちの顔には、それらが乏しかった。

大阪のおばちゃんと、バイタリティの塊のような女性を、俗にそう言う。

このおばあちゃんたちのバイタリティは、おばさんたちの、その後の姿なんだろうかと思える。


人が生きるためには、欲がなくてはならない。
好奇心も、人が羨ましいという思いも、元気に生きるためには必要な欲がある。

大阪のおばあちゃんにはその欲があって、それが顔の表情に出るのではないだろうか。

幸い、わたしの怪我は事なきを得た。
お節介と言われてもいい、できるなら、わたしも、こんな年の重ね方をしたい。

そう思った出来事だった。








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