年を重ねたからこそわかる、母の優しさ

  28, 2018 07:15
小学生のころ、わたしは運動会ではリレーのアンカーだった。
さほど大きくもないわたしが、身長差のある他クラスの女子に徒競走では、決して負けなかった。
なかなか負けず嫌いの子どもだったのだ。


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五年生、隣の3組には、みちこちゃんという女子がいた。
みちこちゃんとは、ドッジボール大会や運動会のリレーでは必ず、闘うことになってしまう。

負けず嫌いのわたしより、さらにみちこちゃんは利かん坊で、男勝りの性格だった。
わたしを常にライバル視していた。

多分、わたしも同じように、ライバル視していたのかもしれない。

何しろ、二人の肩には、クラスの面目がかかっているのだから。

いつも、負けたり勝ったり、引き分けを繰り返し、なかなか勝敗はつかない。



けれど、小5の運動会は、 大好きな白川先生が辞められることで、最後の運動会になる特別な日だった。

今回ばかりは、みちこちゃんと引き分けるのではなく、勝ちたいと闘志を燃やすわたしだった。
わたしは、それまで一度もしたことのないことをした。
走るフォームを研究したのだ。

男子のアンカー麓君は、走る前から、体を前に倒す、それを真似て、自分のフォームを修正した。


運動会の朝、入院中の病院から一時帰宅した祖母の、元気な声が台所からしてくる。

「ゴールの前の場所に蓙を敷いてきたから」と、母に言う、祖母の声が弾んでいた。

お祭りごとの好きな祖母は、私がリレー選手に選ばれていることが、うれしくてならないのだ。
早朝、まだ明けきらないうちから、校庭に場所取りをしてきたのだろう。




元気な声にすっかり目が覚めたわたしは、起きることにした。
いつものように、枕元に置いてある服に着替えようと、手を伸ばした。

なんだか、いつもの服とは感触が違う気がして、ふと、手が止まる。
なんとそこには、真新しい体操着が置かれていた。
真っ白のトレパンと茄子紺の上衣があった。


あのころは低学年はブルマーを穿き、高学年になるとトレパンを着用できるのだった。
ずっとブルマーだったわたしも、トレパンが欲しくてならなかった。

真っ白のトレパンを穿いて走れたら、みちこちゃんには、絶対に負けないのに。

けれど、そのころは、祖母が入退院を繰り返していたころで、家には余裕がなかった。
だから、新しい体操着を買ってとは言えなかった。



わたしたちが寝ている枕元には、時々、奇跡が起きる。
特別な日の運動会の当日、夜なべで縫ってくれた体操着があった。


自室がない子どものころの、自分だけの場所は、小さな机と枕元だった。

その枕元には、時々、奇跡が起きた。
寝る前にはなかったのに、新しい洋服が置かれていたり、
愛らしいアップリケ付きの手提げ袋がいつの間にかあったりした。

うちは裕福ではなかったけれど、できる範囲で子どもたちに精いっぱいのことをしてくれた母だった。


その年の運動会は、紅組の勝利で幕を閉じ、
クラス別対抗リレーでは、前傾姿勢で走るわたしが、みちこちゃんに勝った。

五年二組が優勝した。

祖母と母の応援と、枕元の奇跡がもたらしてくれた勝利でもあった。
それからしばらくして、祖母、そして白川先生までが亡くなってしまわれた。

わたしにとって、忘れられない運動会は、こうして幕を閉じた。





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