「 わがままと、拘りは違うよ 」、と言ってくれた叔父の一言が、わたしの人生を変えた

  22, 2018 07:00
小学校入学式の朝のことだった。
母に連れられて入学式に向かうわたしは、母がこの日のために縫ってくれた晴れ着を着ていた。
スカートの裾に切り替えのギャザーがフリルのようになっているワンピース。
小公女のように愛らしく、わたしは喜びにはちきれそうだった。

にほんブログ村 主婦日記ブログへ
いつも押してくださって、ありがとうございます!

母と手を繋いで歩き、しばらくしてだった。
フリルの裾が足に絡みつき、歩きにくい。
わたしはずっと、男の子のように半ズボンばかり穿いていたから、
スカートに慣れていないのか。

いくらか歩いてみた、やはり気になって、わたしは立ち止まってしまう。
ついにそこで、裾が気になり歩けないと言った。

困り顔の母に、悪いなと思いつつも、どうしても気になってしまう。
裾を引っ張り泣きながら、こんなスカートでは行きたくないと道端で駄々をこねる。



その日は結局、母に諭されて入学式に行ったけれど、帰宅後、そうそうに母はスカート丈を詰めてくれた。

7歳の子どもが偉そうに、あとこれくらい短くとスカートの裾をつまみ、母に注文を付ける。
母はそれでも文句ひとつ言わず、娘の要求を受け入れてくれた。



そのころ、東京の大学で学んでいた母の末弟が、わたしの実家で短い休暇を過ごしていた。
この入学式の一件や、スカート丈のことも、聞きかじった叔父が母に云った。


【 自分の意見や好みを明確にする性格だから、それを活かす仕事に将来は就いたらいいね!】
そのときの母の、ハッとした顔と、叔父のこの言葉は、ずっと心に残ることになった。



小さなころから、わたしは、人が気にならない小さなことに、よく言えば、拘りが強かった。

この性格が、常々、両親の間での揉める原因でもあった。


それを叔父は、わがままな性質だと決めつけてはいけない。
ただ叱るのではなく、これを性格の一部と見なすべきだと、言った。

叔父のこのときの言葉は、両親の、特に父の胸に刻まれた。

叔父のこの言葉により、ずっと後になって、わたしは親元を離れて、遠く東京で学ぶことを許されたのだ。
東京で過ごした8年間は、今のわたしを作る、要素だったと思っている。

物の見方、仕事に取り組むということ、結婚について、あるいは生きる意味などを多岐にわたり考える時代であったと思う。


人生に何かの気づきという瞬間があるとするのなら、叔父のこの一言が、わたしの今を決めたのではないか、と思う。
紆余曲折を経て、わたしは、拘りをとことん追求する仕事に就いたのだから。


わが家では叔父の発言は影響力があった。
もし、叔父があのとき、他の大人の言うように、わたしをわがままで困った子だと言っていたら。
その後から、今の人生はなかったのだ。

もちろん、夫とも出会っていない、娘とも今生で逢うこともなかった。

そして、脳梗塞で倒れた父が、
「 おまえも、よくがんばってきたな、お父さんは誇りに思うよ 」
という、ずっとずっとほしかった、父のわたしだけに向けた言葉を聞くこともなかった。

父の最後になったその言葉は、わだかまっていたわたしの父へのよくない感情を、一瞬にして流してくれた。
父はわたしを認め、わたしは父を理解した。

それこそが、小学校のあの日、叔父が発した一言から始まった運命だったのだ。







いつもランキンバナーをクリックしてくださって、



ほんとうにありがとうございます。
Thank you for your click.
------------------------------------------------------------------
今日も最後までお読みいただき、
おかげさまで、更新の励みになっています。
スポンサーサイト