年老いて、学校に通い始めた母

  04, 2018 07:00
わたしの母は、家庭の事情で短い期間しか学校へ通えなかった。
母は、平仮名は読めても、難しい漢字は知らなかった。
嫁いできたころ、無学な母を、父の姉たちはわざとむつかしい漢字で、八百屋さんの通い帳を書いては、
読めないと、笑うのだった。

むかしは、八百屋さんに買い物に行くときには、通い帳という小冊子を持っていく。
注文するところに、ネギを葱、ゴボウを牛蒡と書いては、意地悪するのだ。

それを言いきかせ、母の嫁としての立場を確固たるものにしたのが、姑である祖母だった。

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とはいえ、表面上は祖母に気兼ねし、嫁である母につらくあたることはなかったものの、
陰では嘲笑していたことだろう。

父を溺愛していた、二番目の姉は、特に母につらくあたった。
末っ子の父は、姉たちに可愛がられ、大切にされて育ってきたためか、姉たちには頭が上がらない。

月日は過ぎ、伯母たちも順に嫁ぎ、実家にはたまに帰ってくるだけになっていった。


そのころからだった。
母は、学校にあがるようになった娘たちにに、文字を教えてと言うになる。

はじめは、祖母に習っていたけれど、入退院を繰り返す祖母に頼むのがつらかったのだ。
母の家庭教師は、はじめに姉が担当し、つぎにわたしがその役割を担うようになる。


日照りが続き、カラカラに乾いた水田が、恵みの雨を全身で吸収するように、
母は漢字を含め、難しい熟語などを吸収していく。

知識の洪水におぼれそうな母だった。
一つ分からないと、それがわかるまで、子どもたちであろうが、祖父、父にまで訊いていた。
勉強熱心な、よき生徒だった母。

新聞を難なく読み進め、文芸誌を町の書店に定期注文して、読むのを愉しみにするほどになっていく母。




しばらくして、常用漢字をひととおり学び終えた母は、文学校に通うと言いだし、父を驚かせた。

無学な母を嘆くこともせず、
また民間の文学校で学びたいという妻の入学手続きを整えたのが、他でもない父だった。


わたしの両親のあいだにも、手前味噌ながらすばらしいエピソードがあったことに、わたしは嬉しい。
今後は、あのころの祖母、父母の生きた時代を、子ども孫たちに語り継げるようにしてみたい。






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