犬や猫、生き物に対する愛情はそれぞれで違ってあたりまえ

  02, 2018 07:00
「お母さん向きのエッセイがあるよ!」と、娘が薦めてくれたのが、
ハスキー犬のグレイのことを書いた伊勢英子さんのエッセイだった。

文庫になったこの本の末尾には、伊勢さん一家にハスキー犬のグレイがやってきて、
わずか4年後には、悪性の進行ガンでグレイが死んだと書かれている。

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当時、我が家の愛犬プリンは、そろそろ老齢期にさしかろうとしていた。
若いころのように喜びを全身で表わすことが苦手になり、立つ時もヨッコラショッと、大義そうになり。
また、他の動作一つ一つも、緩慢になってきたころだった。

犬の老いは、あまりに速くにやって来る。


娘が9歳のときに、わが家に迎えたプリンも、当時は12歳。
長生き犬の仲間入りを果たすことができたと喜ぶ反面、別れる日を強く思うようになった時期でもあった。


家族に愛され、家族のために生きた大型のハスキー犬グレイは、臨終の間際には発作に苦しむ。
その姿が、いつか逝ってしまう、プリンと重なってしまい、プリンの死を想像すると心臓が激しく打ってきた。
もうやめて!楽にしてやりたい、とグレイを見て思うシーンには、本を閉じそうになった。

正直に書くと
わたしはエッセイ著者、伊勢さんご自身にも腹立たしい思いをもった。
そんな、悠長に観察している時間があるのなら、グレイの傍に行って、体を撫でさすり、声をかけてやって!
なにしてるの!画家、作家、じゃないでしょう!あなたは、グレイのおかさんなんでしょう!
なぜ、そんなに傍観者としてかかわるの!

と、こんな心が渦巻いていた。



犬として生まれたグレイには、

【 時の観念も死への不安もないのだ 】
【それらは人間が作り出したもの、犬は、今日、自分が死ぬかも分からないけど、いつもと変わらず生きていられるのです】

伊勢さんは本の中にそう書くことで、グレイの死を受け止めようとしているようだった。
そう、犬と人間の感情の違いは、複雑と単純で著すことができるかもしれない。

わたしたちは、どうしても人間目線で、犬のことを考え、思いやり、思い込んでしまう。
(特にわたしは・・・・・・)

なぜ、伊勢さんのグレイへのかかわりを批判めいてみてしまうのか。
犬や猫にむける愛は、それぞれなのに。
まるで、この世の中で、犬を愛するのは自分だけ、のような思い上がりに、愕然とした。


ペットロスといわれる心は、犬目線で考えたら、きっと犬は精いっぱい大好きな人間家族と生きて幸せだったのに、
もっと傍にいてやればよかった。
あぁ、早くに気づいて医師に診てもらうべきだったと。
してもしても、悔いがのこるのが、愛というものだろう。

グレイが逝ってしまった画家の心には、大きな穴がぽっかりと開いてしまった。
その穴を埋めるには、グレイが戻ってくれることしかない、他のナニモノでも埋められるものではない。


強いて言えば、時が解決してくれるのを、あるいは、暗い穴倉のなかでじっと蹲って待つしかない。

でも、逝ってしまった命を再び戻すことはできない。
人間という複雑な感情を持つ生き物は、穴倉を何個も開けながら生きていくしかないような気もする。


それとともに、人間と犬、あるいは猫、その他生き物とのかかわりも、人それぞれで違うのだと、肝に銘じたエッセイだった。
自分のセンチメンタルな生き物への感情、のみで、他人様を語ってはいけない、と思った本でもあった。


「 ねぇ!おかあさあん、グレイの本、どうやった? 」

「 う・・・ん、おかあさんは天邪鬼やから、伊勢さんのグレイに対する行動に、反発心がでたかな 」

「 でも、それは違うなって、伊勢さんの真意とは違う。自分の了見の狭さを知った、本やったわ。ありがとう 」

と、娘と二人の会話だった。






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