いつか命を落とす、ケガは金輪際したくない

  31, 2018 07:00
今月は、右手の指を切ってしまい、10日ばかり手を使えない不自由な暮らしを強いられた。
わたしは、心はさておいて、体はまずまず健康だと思う。
たぶん、滅多に風邪をひかないことが、そう思わせるのだろう。


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7歳の夏休み、わたしはふるさとの町では珍しいことに、交通事故に遭った。

町のメインストリートを往来するダンプに、撥ねられたのだ。
目撃者によると、トーンコロコロと、身体ごと二回転して、アスファルトに落ちたらしい。

それは、体が3mほども飛ばされたという、なかなかの事故だった。


小さな田舎町には、そのころはまだ救急車がなく、事故を見た近所の人の通報によりパトカーが来てくれた。
パトカーの後部座席に横向きに寝かされたわたしの、横顔を撫でるように、頭から流れる真っ赤な血が、真っ白なシーツを染めていく。

ドクッドクと鼓動に合わせるかのように、流れる。
このあたりから記憶は途切れてしまう。


次に、病院に運ばれて、頭を縫ったところで、また記憶が戻ってきた。
麻酔をして手術してくれたと思うけれど、物凄い痛みに、わたしは大声で泣いた。
外に聞こえるほど叫んだらしい。

その声を聞いた母が気分が悪くなってしまい、病院で処置をうけたと、あとで知った。


実は、この年の夏休みには海で溺れてしまい、
あわやというとき、一緒に行ってくれた従兄弟のお兄ちゃんに助けられた、という水難事故にも遭っている。

砂浜に引き上げられ、お兄ちゃんの救命処置のおかげで一命を取り留めた。

この二つの事故を皮切りに、その後も定期的に律儀なほどの周期を保ち、事故はやってくる。
事故のことを書こうと思ったら、ブログ記事は両の手では数えられないほどになってしまう。



そんなわたしに、他人様は、慌て者、うっかりや、行動認知力が低い、ケガに対する受難の相など、
いろんな言葉を並べて、忠告してくれる。


先日の指のケガでは、包帯で包まれたわたしを見ると、娘が泣き出した。
縫合してもらったと、帰宅したときだった。

二本の指を切ったから、包帯もそれなりに大仰だったこともあった。
娘には、大怪我に見えたのだろう。


いつも穏やかな性格の娘が号泣した。
娘が泣きじゃくる姿をみたのは、三年前の愛犬プリンの死、以来だった。




今回のケガは、さすがにわたしも、お祓いをしてもらおうか。
と、真剣に思っている。

自分では、何か行動を起こす前に、必ず、ひと呼吸おいて、確認するようにしているのに。
それでもケガをしてしまう。

5年前の階段転倒の事故は、夫も巻き込み、その舌の根の乾かぬ内に、この度のケガを含め何度したことか。



泣きじゃくりながら娘は言う。

「 病気や年をとって死ぬのなら、何とか折り合える 」

「 だけどケガで、おかあさんが死んだなんて、ぜったいにわたしは受け入れられない!」

そう言いながら、しゃくり上げる娘に、返す言葉などあろうはずもない。
わたしだって、もし、私のような母をもったら、きっとそう言う。


7歳の交通事故の後遺症は、朝夕が涼しくなってくると、眉の上の古傷が痛むかたちで残っている。
頭痛はあまり起こさないほうなので、この痛みはかなり堪える。

だけど、わたしには、こうして後遺症が残っている方がまだいい。


慌て者で向こう見ずなわたしも、娘にはこの世でたった一人の、無くてはならない存在なのだ。
娘には、できたら哀しい涙を流させず、泣かせるなら嬉し涙になるように、生きていかなければ。






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