若いころは、自分が死ぬとは考えもしなかった

  03, 2018 07:00
昨日は、町内会で二軒のご葬儀があった。
享年86歳、74歳のお二方は、どちらも、お顔もよく存じ上げない方だけど、
人の死について考えさせられた葬儀だった。

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わたしが死を初めて意識したのは、祖父が死んだときだった。
肉親の死は、それ以前に祖母の死があったけれど、小さなころは死をよく理解できない。
祖父はわたしが中学二年生の夏休みに死んだこともあり、死を認識できたと思う。


お寺の楠から蝉の鳴く声が、読経をさえぎるかのように、耳についてはなれない。
きつい太陽が容赦なく降り注ぎ、弔問に来る人々は、暑さのせいか赤い顔をしていた。

わたしと姉妹は、両親の横、いくぶんは涼しい本堂に座り、弔問に来られる人に頭を下げていた。
祖父は胃癌で死んだ。
最後の最後まで苦しみ抜き、痛みに耐えきれず、殺してくれと叫ぶようにして、逝った。

骨と皮だけになった祖父の顔はただただ、わたしには恐ろしく、優しい言葉の一つもかけられなかったことを悔やむ。

せめて痛み喘ぐ背中をさすり、手を握り、ありがとうと言ってやれたら。
中学二年生のわたしの心にあった、祖父への想いだった。

そして、そんな想いに相反するかのように、わたしの心にはもう一つ、死は恐ろしいものとして、残ってしまった。

ところが、若いころは、人が死んだことを認識できても、自分が死ぬとは思えない。
死とは、ずっとずっと先にあるもの、そしてそれはもしかすると自分を避けてとおるもの。
というふうにしか思えなかった。

還暦前の今のわたしは、死を十分に意識している。
もう自分に限って、などとは思わない。
それは、例えば、ケガをしたとき、あるいはインフルエンザの高熱に冒されたときなど。
自分ではあずかり知らないところで、病が進行し、体の力が落ちていくことを実感できることで。

間違いなく、この体には、消費期限というものがあるのだと、実感できるのだ。
消費期限には、必ず終わりが来る。



若いころは、死は、ただ恐ろしかった。
今も恐ろしい、けれど、その恐ろしさの種類が、微妙に変わってきつつある。
年をとるって、良い面もあるのだなと、思っている。







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