人は、何のために働くのだろうか

  10, 2018 07:00
木々の匂いがする5月の日差しは、時季外れの寒さでも心身に心地がいい。
それは、体の隅々までしみ渡り、深い部分の滋養になるような気がする。

空気もふんわりと、やわらかな毛布で包んでくれるように、穏やかだ。
ぎっくり腰の痛みもひき、芳しい空気に誘われて、つい、遠くまで、散歩の足をのばしてしまう。

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やわらかな日差しの下、農作業をする人々に出会う。
そのうちの顔見知りの方が、声をかけてくださる。
会釈を返し通り過ぎながら、働く方々の会話を耳にする。

まずは、天候のこと。
それから、作物の出来不出来など。
しかし、その間も決して手は休めない。



通り過ぎながら、わたしは思う。
声をかけてくださる78歳の男性は、邸宅に住まわれ、町会の重職を担っておられる。
表面だけをみると、暮らし向きには何不自由はない立場の方だろう。

それでも額に汗し、働くのをやめない。

【 人はパンのみにて生きるにあらず、されどパンなくして生きるものにもあらず 】
と、旧約聖書の言をもじり、芥川龍之介は言った。

パンは生活の糧、人は食べなければ生きていくことはできない。
わたしも、結婚をして仕事を続けていたのは、自己実現もあり、生活の糧を得るためにだった。
娘の教育費、二軒の住まいを維持していく、必要経費を賄う、あるいは老後資金の足しにと。


ところが、あっという出来事の後、仕事を辞めざるを得なくなった。

在宅で当面の仕事をしていても、ふと心を貫くような冷たい風。

もちろん、営業能力のない自分だから、仕事の成果に見合う報酬を得られなかった、という徒労感もある。
いつも、もう辞めよう、明日やめよう、と思いながらする仕事は疲労が増す。

そんな心境で、ウツウツとしていたところに、元上司からの、思いがけない申し入れ。

わたしは、舞いあがってしまった。
もう糧などどうでもいい。

またスポットを浴びる場所に、自分を必要としてくれるところに行くことができる。

在宅ワークでは、わたしに面と向かって、

「 あなたが必要 」 といってくれる人、
あるいは、賛辞をあびせてくれる人、
「 さすが!すごい! 」
と、いってくれる人もなく、誉め言葉をうける機会もなくなった。

もう一度、自分が生きた証としての仕事がしたい。
この広い空、輝く大地に負けないような、自分を見たかった。


冷たい風が吹く心には、そんな思いがたまっていたのだろう。
仕事を辞めようと思ったときは、突然の出来事だったにしろ、その以前から自分の引き際を感じていたはず。
その自分を忘れ、誉め言葉にふらふらと、飛んでいきそうになった自分を猛省した。

覆水盆に返らず、有終の美は、一度っきりだから美しいのだ。






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