おしゃれに冒険できない、むかしのトラウマ

  30, 2018 07:00
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 丁寧な暮らしへ

成りたい自分に成れる、そのてっとり早いことは、わたしはファッションで自分を表現するのが、一番の方法だと思っている。
カジュアルにしろ、ドレッシーにしろ、最近の若い人たちは、マイスタイルを確立しているなぁと、羨望の眼差しで見てしまう。

何より、わたしが若いころと比べて、格段にスタイルがよくなった。

ランドセルの女子児童の後姿などを見ていると、かなり八頭身に近い子がいる。
膝下からまっすぐに、スラッと伸びた足、細い手首足首、9頭身かと見紛うほど、長い長いアキレス腱。

こんな子どもは、わたしのころは、全校で一人いるか、いないかだったのではないだろうか。



わたしの両親は、昭和はじめの生まれで、女はかくあるべき、そんな価値観を子どもたちに教えきかせていた。
母は、洗濯物を干す順番すら、祖父や父を優先していた。

これは、うちだけが封建主義ではなく、多分、そのころの日本の家庭の標準だったように思うけど、どうだろう。

大学一年生のころ、今の東京渋谷109の近くに、しゃれたファッション街が軒を連ねていた。
渋谷でアルバイトをしていたわたしには、そこは慣れ親しんだところ。

そのなかのある店で、グリーンのマニキュアを買った。
鮮やかなグリーンを爪に塗ると、気分がわくわくして、自分が映画スターになったような気がした。

マリ・クレールという化粧品メーカー製のものだったと思う。

師走の街並みは、Xmas気分に溢れ、人々は足早に通り過ぎて行く。
わたしはアルバイトを終えて、そのまま夜行バスで実家に帰ることになっていた。


翌朝、実家に着いた。

家に帰る前に、ヤスリ商店という何でも売っている町中の、コンビニエンスストアのような店に立ち寄った。
ちょっとした買い物を済ませると、レジでお金を支払う。

あっ!
あぁ!
レジのお兄さんのギョッとした顔を見て、気が付いた!

あのマリー・クレールの鮮やかなグリーンのマニキュアを爪にぬったたままだったのだ。


妙齢の美しい手の女性なら、いざ知らず。
マニキュア以外、しゃれっ気すらない普通の大学生のわたし。



地方の田舎町で、それがマニキュアだと分かる人は数少ない。
だから、化け物を観るような目つきで、わたしを凝視したのだ、と思う。


とぼとぼと歩きながら、マニキュアをおとすのだったと後悔する。


実家に帰ると、母が玄関の間で待っていた。

「 ヤスリのお兄さんが、東京の娘が田植えをして帰ってきたって言ってるよ 」


そうなのだ。
実は、わたしの爪のグリーン色のマニキュアは、田植えをしてきたと勘違いされたのだ。

ちょっとした冒険、細やかなおしゃれ心を、田植えと勘違いされてしまう。
とは云うものの、わがふるさとからは、世界に名だたる、コシノ一家が輩出されている。



このマニキュア事件は、ファッションに対し、してはいけないという価値観をうえつけたように思う。

才色兼備という言葉もあるのに、田舎町では、仕事の出来る女は髪を振り乱し、お化粧っ気もなく、仕事にだけ一心不乱に。
そんな、自分を縛る、がんじがらめの価値観が、そのころだった。

そのような過去が、ファッションに対し、臆病にさせてしまう。
本音は、今だってわたしは、おしゃれをして街に出たいと思うのに。




------------------------------------------------------------------
いつも、ご訪問、応援クリック本当にありがとうございます!!
おかげさまで、ブログライフを愉しくやっています。
ランキングクリックバナーはこちら↓になります。


------------------------------------------------------------------
当ブログは、コメント欄は閉じております。
コメントを下さる場合は、下の拍手ボタンをクリックしてくださると、
拍手コメント欄が開きます。
恐れ入りますが、コメントは拍手コメントでお願い致します。





スポンサーサイト