死に顔を見せたくない、と言った祖母

  24, 2018 07:00
わたしの祖母は晩年になり、リューマチに悩まされていた。
痛みはひどく、手指の節くれが目立って曲がるようになってきた。


明るく朗らかで、好奇心に溢れていた祖母は出かけることが大好きだったのに、
わたしが中学生のころには、家で臥せることが多くなっていった。

祖母の部屋にいくと、自分の手を見せながら、
「花冷えする日はな、おばあちゃんの指が痛むんやで」と 曲がってしまった指を揉むのだ。

そうして、桜も咲く時期に、一時的に冷え込む事を花冷えというと、言った。

リューマチを病む祖母にとって、花冷えの日はつらい。
そこに雨ともなれば、苦痛が増す。

オシャレで出かけることが好きだった祖母が、家にこもることが多くなってきた。


夏から秋、冬から春へと季節が変わるころに、祖母のあの変形した手指を思い出す。
リューマチを病んでいない私には、祖母の苦痛を推し量ることはできない。

ただ、季節の変わり目になると身体の変調につられて心までが落ち込むことが、年々、多くなり、
それに伴って祖母を思い出す。

リューマチは痛い、その痛さは口では言い表せない。
強く深く、身体の芯からジンジンと攻めてくる。
中学生のわたしに、祖母はそんなふうに話した。



とはいえ、気丈な人であった祖母は、苦痛に歪む顔、痛みに耐えかねる姿を、孫には一度たりとも見せたことはなかった。

大阪人にしては珍しく、彫りの深い顔立ちの祖母は、
早い時期から、いざという時の自分の遺影を、嫁である母に託していた。

「 わたしの死に顔なんか、絶対に子どもらに見せたらあかんよ 」

「 明るうに笑ろてる顔の、いつも元気なおばあちゃんを覚えていたら、それでええんや 」

そう嫁に遺言し、亡き後の手筈を整えると、臨終の床についた。

しばらくして、祖母は家で亡くなった。
けれど、私たちは、遺言どおり、祖母の最期の顔を見ていない。

今も記憶のなかのおばあちゃんは、朗々と大らかに顔中で笑う人、として残っている。

実家の仏間にあった祖母の遺影は、わたしが記憶している、笑顔その人のまま。
神妙な顔で写っている他の遺影の中にあって、それはひときわ目立っていた。

その遺影は思わず、写真に向かって、「 おばあちゃん! 」と声をかけたくなるのだった。

それもまた、朗らかな祖母らしいなと思うのだ。

そしてわたし。
わたしは、娘や、もし孫がいたとしたら、祖母のように毅然とできるだろうか。
たぶん、できないと思う。

わたしは、娘や孫に囲まれて、できたら、さよならと言って、死んでいきたい。






-----------------------------------------------------------------
いつも、ご訪問をありがとうございます!
ブログランキングに参加しています。

下の画像が↓ランキングバナーになります。
よろしくお願い致します。

にほんブログ村

------------------------------------------------------------------
当ブログは、コメント欄は閉じております。
コメントを下さる場合は、下の拍手ボタンをクリックしてくださると、
拍手コメント欄が開きます。
恐れ入りますが、コメントは拍手コメントでお願い致します。


スポンサーサイト