苺を食べながら思い出す、香しい春の歓びと若き母

  24, 2018 07:00


春になると、ほんの小さなころから、私はワクワクと心が弾んだものだった。
お城の坂道を下り、駅前商店街まで買い物に出かける母についていく楽しみが、さらに春を喜ばしいものにしてくれた。

見馴れたはずの町並みが、春には甘く芳しい花の香りで満たされ、買い物に行く母の背中も弾んでいる。


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私は母の背中を小走りで追っかける。
ようやく追いついた私を、母は一緒に買い物に連れて行ってくれるのだ。


竹で編んだ母の買い物カゴにぶら下がりながら、
今日は苺を買うのと、甘える歓び。
春は滅多なことではお目にかかれない、苺が母の買い物カゴに入り、その苺が食卓に上った。



商店街のはずれに、八百屋さんとは別に、おじいさんがいつも露店を出していた。
大八車の荷台の莚を敷いた上に、竹ザルに盛られた苺がずらりと並んでいた。

少し傷みかけたのや、小さな粒、またびっくりするような大きな粒の苺もあった。


母は、そんな不揃いの苺の中から幾種類か選んで買っていた。
熟しすぎて傷みかけたのは自分用に、びっくりするような大きな苺は、祖父母や父に。
そして小さな粒は子どもにと、あれこれ算段しながら選んでいた。

春にはみずみずしい緑の野菜を積んだ大八車が軒を並べ、殺風景な荷台は翠色の輝きを放っていた。


あれから50年が過ぎた。
今、私も春には一番に苺を買い求める。
小さなころから、一度でいいから食べてみたかったあの大きな大きな粒の苺を買う。

洗って冷蔵庫に入れるより先に、家族に出す食卓に上げるより先に、その大きな粒を一つ、摘み食いする。
私に春が来た!と、歓びが体全体を通して広がっていく。


自分では決して大粒苺を食べなかった母に、ごめんねと思いながら、口中に春の香りを味わう。
50年はずいぶんと長い年月に思える。
あのころに元気だった祖父母も、両親ももういない。

たいていの物だって、壊れたり使い過ぎてすり減ったりする。
けれどこうして、思い出だけはいつまでも消えずに残っている。


口いっぱいに広がる、苺の甘酸っぱさだけで、こんなふうに幸せだと思える私。
春の歓びを幸せと感じられる思い出をくれた母に、苺を食べながら感謝する。



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