午後の一人の時間に、手を見て想うこと

  23, 2018 07:00
このところ、有難いことに毎日よく眠れる。
大体、毎夜11時にはベッドに入り、6時起床まで一度も目覚めない。

健康のために良質な睡眠がとれていると、喜ぶ反面、悩むことが起きている。
それは、本を読む時間がとれなくなったこと。

これまでずっと私は、ベッドに入り眠るまでの時間を、読書時間にあてていたから。
だから、最近の日課は、午後のひとときを、ベッドで本を読みながら過ごしている。

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午後の気怠るさの中で微睡に誘われ、本を閉じながら、ふと手に目が行く。

仕事をしていたころは、この手の爪にマニキュアを施していた。
いつも、黒かグレー、時々、茶、そんな服の好みの私だから、アクセントに爪だけは華やかに色取っていた。

こういうことを、“差 し色 ” 、というらしい。



黒づくめの服に、ピンクやワイン、ボルドー、オレンジなどの差し色を爪に使う。
爪という部分は、身体の中でも、ほんの少しの面積なのに、そこに艶やかな色を差すと、一転、その人全体が華かになる。

そこだけスポットがあたったかのような爪のおかげで、現実の地味な自分を、華やかな職場に同化させることができていた。

顔には白粉をはたき紅をさし、アイメイクで陰影を施して、なんとか化けることができるけれども、手と首筋は、隠せない。
年齢は如実に、その両方にあらわれる。


本を読む行為は、いや応なしに自分の手に気づかされるのだなと思った。
マニキュアは老いを隠すための、格好の小道具になっていたのだと、しんみりしてしまう。





勤務を辞め在宅で仕事をし、専業主婦になってから、私はマニキュアを止めた。
大好きなこの台所に、どうも差し色は似合わないというのか、相応しくないように感じて、艶やかな爪を見て引いてしまうのだ。


ベッドサイドの、やけに明るい発光ダイオード(LED)の照明の下でじっと見る手は、悲しい現実をあらわしている。
自分が誰より知っている老いていく事実を、明るく眩いばかりの発光ダイオード(LED)は、否応なしに、知らしめる。


「 もうけっこうですよ、よく分かっていますので、 敢えて教えてくださらなくても 」 と、照明に向かって言いたくなる。

老いゆく私への照明は、眩いばかりの発光ダイオードではなく、裸電球のどことなく秘密めいたニュアンス漂う色がいいなと、思うのだ。
それはきっと、この手の現実をオブラートで包むようにしてくれるだろう。





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