方言だって、通じない言葉だって愛おしい

  08, 2018 07:50
私は学生時代の一時期を東京で暮らしていた。
八年間にわたる東京暮らしの中で一番の問題は、言葉だった。

大阪弁を笑われるのが嫌で、口数を少なく過ごしていた日々も徐々になれてきて、
次第に東京の子たちとも仲良くできるようになっていた。

ある日、校内補講を受けていた時だった。
「毎日補講があるなんて、しんどいね」と言った私に、友が怪訝な顔をした。



そうか、日ごろなんとも思わずに使っている言葉で、しかも同じ大阪圏でも、通じない言葉があるのだなと思ったのだ。


考えてみると、他にも、「せんない、しょうぞく、だんない」などと、凡そ日本語に聞こえない言葉もある。
これら会話言葉はさすがに私は使わなかったけれど、老人は今でも使っている。


そう言えば、在東京時代にも通じない言葉が多くあった。

例えば、「ゴミをほかす」と言うと、怪訝な顔をされたり、「おっちんする」と小さな子どもに言っても通じなかったりした。
嘘みたいな話だけど、「机の端っこをかいて」と頼んだら、実際に机の端っこをカリカリと掻いた同級生もいた。(;^_^



ほかすは、「捨てる」、おっちんは「お座りする」、かいては「持って」と知ったのだった。


狭い日本でこのように多種多様な言葉があるものだと、私が一人ごちていると、
高校時代のクラスメイトが、「えんちゃしなさい」と小さな姪に言った。

私には、そのえんちゃの意味がどうしても分からなかった。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だというのに、東京っ子として暮らしたかった私は、訊けなかった。


そして、年月が過ぎたある日。
私は偶然に「えんちゃ」は東京弁で、お座りすることだと知って驚いた。
そして、とても嬉しくなった。


なんだ、東京も、標準語ばかりではなく、ローカルな言葉もあったのだ。
大阪の田舎者の私は東京は大都会、そしてそこで使われている言葉は、日本の標準語、だと思っていた。
標準語と異なる言葉で話す自分を恥じて、身を竦ませることが多くあった。

それは言い換えたら、劣等感ともいえる。
だから、となんとなく嬉しくなったのだった。






------------------------------------------------------------------
今日も、「閲覧、応援クリックを」ありがとございます!
rankingバナーはこちら↓です。

にほんブログ村

------------------------------------------------------------------
恐れ入りますがコメントは拍手コメントでお願いします。
スポンサーサイト