なぜ、牛娘と呼ばれなければならなかったのか、胸が悼む古い記憶

  12, 2018 07:00
私のふるさとには、水戸黄門のテレビ番組で登場したお城より有名な、だんじり祭がある。
その祭りがある九月には、前後して芝居小屋が広場にかかる。

芝居小屋の前には、ガマの油売り、バナナの叩き売り、りんご飴や綿菓子の屋台、たこ焼き、イカ焼き、飴細工などが俄か店を出していて、大人も小さな子どもたちも、だんじり祭りと同じくらい心待ちにしていた。



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その年は、芝居小屋の脇に小さな小屋がもう一つかかった。
私はまだ、学齢期にも達していない幼女で、遊びといえば、五歳上の姉の後を追いかけることが多かった。

その日も、友だちと連れ立って広場に行く姉たちの後を追いかけた。
広場はたくさんの人、人で、途中から私は、姉たちを見失ってしまい、ふらふらと小さな小屋に入った。


小屋の奥まった薄暗い所にわか作りの舞台が設えられ、その真ん中に檻が置かれていた。
私は、檻から犬が出てくるのだろうかと思い、じっと待った。
もしかしたら抱っこさせてくれるかもしれない。

幼心にも、おうちの人と一緒ではないから叱られると考えたのか、知らないおばさんの後ろにくっつくようにしていた。
ほどなくして、舞台の隅から、サーカスのピエロが穿くようなズボンを着けたおじさんが出てきた。
手にはマイクを持っている。

おじさんは、マイクを持ち直すと、大きな声で口上を述べ始めた。

「 さあ、見ていってくださいよ!牛娘が登場しますよ! 」
そういうような、口上というより叫んでいたように記憶している。


そしておじさんは、檻の前の扉を開けた。
檻からは、手が出てきて、 次に顔が見えた。
大人に押されて私は、その時は舞台の真ん前に立っていた。


檻から出てきた人は、若い女の人だった。
立って歩けないのか、手も足を四つん這いにしてずりずりと、蛇のようにして舞台に這い出てくる。
私は、その姿が恐ろしくて泣き出してしまった。

その時、牛娘と言われたその人が私の目を見た。
その目は、どうしょうもない哀しみに満たされていた。

けれど、私を見つめた目は優しかった。
それからの記憶は朧げで、その後をどうしたのかも覚えていない。


私は、この話を家族の誰にも話さなかった。
話せば叱られる、そう思ったかもしれない。

けれど、牛娘と呼ばれなければならないお姉さんが可哀想でならなかった。
初めは怖くて泣いたくせに、悲しそうなお姉さんの目は、とても優しかった。
自分の姿を見て泣き出した、残酷な子どもにも、柔らかな眼差しを向けていた。

その目は、何十年過ぎても、私の心から離れない。

あのお姉さんは、障害を持って生まれたのだろう。
病院にかかることもなく、お金で売られてしまったのかもしれない。
それとも、貧しい農家に生まれ、口減らしのために、自らすすんで人買いの手に落ちたのだろうか。

我れ先にと、舞台にかじりつき娘を一目見ようとする人々を責められようか。


ほんの五十年くらい前には、このような事実があったのだ。
体調が悪くても、こうしてここに私は、五体満足で生かされている。

自分の運命を、しみじみと感謝する気持ちから、この古い記憶が出てくるのだろうと思っている




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今日は長文の日記の上、心苦しい記事になってしまい、ごめんなさい!<(_ _)>
おしまいまで読んでくださって、ありがとうございます!
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