トリスバーのアルバイトは、良い経験だったなと思う

  09, 2017 07:00
通っていた学校の沿線には、ガードに沿うように、スナックやバー、居酒屋、炉端焼きと、
仕事帰りのサラリーマンがお財布を気にせず安心して、一杯ひっかけるような、小さな店が軒を連ねていた。


家庭教師兼子守のアルバイトを首になった私は、そのガード下を目的もなく歩いていた。



その店の扉の前にさしかかっとき、何気なく顔を上げた。

すると、扉の横に小さな紙片が貼られていたのが目に飛び込んできた。

【 急募!窮乏学生! 】

それはまさに、そのときの私にぴったりの、殺し文句だった。



それが“トリスバー カント”だった。

トリスバーは当時、ウイスキーを安く飲ませる、サラリーマンやある種の通の人たちに、人気を博していた。

カントという名を聞いて即座に、哲学者と浮かんだ方はさすが!
けれど、不正解なのです。

正解は、マスターの洒落からつけたという。
関西弁で『 いかんといて( 行かないで ) 』、と言う意味から名付けたのだというから、笑ってしまう。

黙ってカウンターに立っていたら、渋めの紳士に見えるマスターは、駄洒落好きな大阪出身のオモロイ人だった。


店の重そうな木の扉の上に、あのトリスおじさんの看板があった。

看板は、駅改札を出るとすぐに見え、今宵のひとときを誘うような柔らかな光を発していた。
7人も座れば満席になる、マホガニーのカウンターは、淡い店内のライトで茜色に染まっていた。
そこで私は、学費稼ぎの、ただお金のためだけに働いていた。


“カント”で私は、ハイボール、ショット、オンザロック、マティニー、ジンロックなどのお酒の呼び方を覚えた。
カントはまた、バーにしては珍しく店内が禁煙になっていた。
喉の弱い私には、これが何よりありがたかった。

来店するお客さんの層はまちまちで、サラリーマンが一番、多かったように思う。

父とかわらない年代のおじさんたちは、お酒を飲みながら、ワイワイとよく喋る。
なぜ、人は〔特に男性は〕、お酒を飲むのだろうと不思議な気持ちで眺めていた。

父も、外でお酒を飲むときは、ここのお客さんのように、優しげで楽しそうになるのだろうか。

みんな一様に、店に来たときは、疲れたような神経を張り詰めたような顔をしている。
けれども、「マスターお勘定」というときは、まろやかで優しげな表情になり別人のような顔になる。


それは働いている私までが気分よくなる瞬間だった。

ただで飲ませてもらったわけでなく、自分たちの支払いで飲んだというのに、帰り間際には「ありがとう」と言って帰る。

男の人には、1日の憂さをはらしたり、心を解放したり、バカみたいにヘラヘラと笑える
“お酒という魔法の水”が必要なのだなと、仕事に慣れるに従い、思うようになっていった。



お客様が帰るとき、

「 いかんといてえなぁ 」言いながら、お勘定するマスターの笑顔もとびっきりになるのだ。

今、こうしてブログに書きながら思う。
振り返ってみれば、私が歩いてきた道だって、
決して悪くはない。

中国人の家庭のアルバイトをクビになったから、カントを知った。

それまでも、いろいろなアルバイトをしてきたけれど、
結局、私は卒業するまでカントで働き続けた。


カントに来店するお客様も優しく、あのころは、夜の街のライトさえ、LED照明のようなギラギラとどぎつさはなく、
電球のやわらかでほのかに光る、とても優しい輝きで、それが夜の街をふんわりと包んでいたように思う。
懐かしい日々は、甘いことはばかりではない。

それでも、カントでのことを思い出すと、こころがあたたかくなる。



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