category: ・懐かしい日々への旅  1/5

あまりにもあっけない死、「 なんだか気持ちが悪いの 」 それが最期の言葉だったなんて

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決して嫌いではないのに、どうしても苦手なタイプの人がいる。その人のそばにいるだけで、息が詰まってしまう人と言えばいいのか。常に背筋をシャンと伸ばしていないと叱られそうな、と思ってしまう人。にほんブログ村小学校4年生、わたしは学級委員になった。通常、学級委員は選挙で、男女ペアが選ばれるけれども、大抵は有力者の子供がなることが多かった。それ以外には、クラス中が認める、優秀な生徒がなると決まっていた。だ...

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貧乏学生だったわたしの夢は、働いた初給与で、お腹いっぱいお寿司を食べることだった

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娘が、今月分と言いながら、お金を手渡してくれた。結婚にはお金が入用なので、もう要らないよと言っても、これはけじめ、だと言う。そういえば、娘は初めてもらった給与からずっと、お金を振り込んでくれる。当たり前だという人もいれば、貯金に回したら、というお母さんもいることだろう。わたしは、一応、娘からもらい、そのまま貯蓄している。もったいなくて、使えないから。にほんブログ村今日もクリックしてくださって、あり...

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東京にはまだ、六本木ヒルズはなかったけれど、六本木交差点界隈にはしゃれたお店がひしめいていた

日曜日は、デートが中止になった娘が、夕飯はわたしが作るからと言う。上げ膳据え膳は、嬉しいし、ありがたい。夕飯の献立は、先日、大好評だった、パスタ料理に決まった。にほんブログ村いつも押してくださって、ありがとうございます!献立を決めた娘は、「 ねぇおかあさん、買い物に行ったついでに、タバスコを買ってきて!うちないよね? 」と言う。そう、わが家にはタバスコは置いていない。それには、わたしのお粗末な、過去...

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玄関の敷居は踏んだらあきまへんで、お父ち​ゃんのおつむやさかいな

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わたしの祖母は、大阪船場の荒もん屋から、祖父の家に嫁いできた。荒もん屋とは金物屋のことで、今風に言うなら、ホームセンターのようなところだろうか。大阪商人の躾をうけてきた祖母は、大阪泉州の暮らし向きになかなか馴染めなかった。にほんブログ村いつも押してくださって、ありがとうございます!泉州は、割合に贅を好むところがあり、宵越しの金は持たない、という江戸っ子と似通っている。たぶん、だんじり祭りがそうさせ...

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悲しさと、嬉しさとともに、記憶に残っている出来事、小学校二年生の初めての作文

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小さなころのわたしは、髪を刈り上げにし、半ズボンを穿いて、まるで男の子のような格好をしていた。次女として生まれたわたしが、姉に続いて、また女の子だったことで、祖父や父ががっかりしたからか。母が、がっかりしている父や祖父を喜ばせるためにそうさせたのか。なぜ、男の子のような恰好をしていたのか、実はよく分からない。もしかすると、子ども心に、そうすることで祖父と父が喜ぶからと、自分で思ったのかもしれない。...

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