今年のお盆は、実家ではなく三女の住まいで、みなが揃った。
三女は実家を継いでいたけれど、新しく住まいを構えた。

今年のお盆で、びっくりしたのは、妹がむかしの子どものころのお盆のように、
住いを夏の家にしていたことだった。

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夏の家で思い出すのは、蚊帳。
部屋の周囲に、蚊帳を吊る紐が、父によって、夏になる吊り下げられる。

納屋から夏の家の手始めとして、まず蚊帳が取り出され、虫干しされる。
これが、夏の家の開始ゴングになるのだ。

わたしが育った地域では、夏になると、【夏の家】に模様替えをした。


一番初めに、畳みを上げて外に干す。
畳が太陽に当たっている間、家の畳床に白い粉を撒く。
この白い粉は、消毒剤と言っていたと思う。



インフラが完備された現在では見ることもなくなった、昭和の風景かもしれない。
昔は、夏になると、各家々で家中の掃除をしたものだった。
小さい子も大きな子供たちも、夏休み返上で大掃除のお手伝いをする。


町中がみんな、一緒になって溝掃除をするのだ。

掃除が終わった溝には、町会のおっちゃんが薬を撒いて回っていた。
おっちゃんは偉そうな顔をして、薬を入れた嚢を背中に背負い、町中を練り歩いていた。
威張りん坊のおっちゃんの恰好がおかしくて、わたしははいつも笑いを堪えていた。

蚊が媒介する日本脳炎が、まだまだ、怖い時代だったから、溝の消毒は欠かせなかった。



家では、庭の草刈り、池泥浚い、次は廊下を茶殻で磨く。

祖母の掛け声がする。

「あんじょうしなはれや!畳とお便所の掃除は、綺麗にする子ぉが、ええとこに嫁にいけますんやで!」

終わったよ!の掛け声に、祖母が廊下を隅々まで歩く。
歩きながら磨き残しがないか、チェックしているのだ。

このころには、畳の虫干しも終わり、元通り家に畳が搬入される。


お日様の匂いのする畳が、うちに敷かれると、夏障子が父によって運ばれてくる。
大掃除が終わると、みんなで、廊下に寝転ぶ。
祖母と母は、台所で夏の家のお祝いのご馳走をこしらえている。

父とわたしたち子どもは、廊下で寝転びながら、夏障子から吹いてくる風を感じていた。

夏障子から吹いてくる風は、障子の桟の隙間を通る。
その風は、穏やかで涼しくて、わたしは夏が大好きだった。

妹の住まいが、姉とわたしには、今は実家になるわけだけど。
三女は、できる範囲で、住まいを懐かしい実家のようにして暮らしている。


新しい建築の家も、お盆には座敷を夏障子に変え、祖母や母がしていた同じような迎え盆。
姉は感極まって泣き出し、わたしはそれを見て、涙ぐむ。

あのころの夏の家を三女は魔法の力を借りて蘇らせた、夏の家だった。

膳を下げたあと、井戸水ではないけれど、冷蔵庫から冷やしたスイカを持ってきた妹。
妹の顔が母に見えた、そんな迎え盆の日だった。








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昨年暮れから今朝までで、体重が3キロ減った。
これは別にダイエットをしているわけではなく、自然とそうなったようで身に覚えがない。
今年の夏が、凄まじく暑いからだろうか。

3キロも減ると、サイズが一つ小さくなってしまうから、これまでの洋服の殆どがゆるゆるになっている。


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わたしは、30代のころからずっとパンツしか穿かない。
スーツなどは、スカートはすべて処分し、ジャケットだけ気に入ったものを着るようにしていた。
それもいつしか流行遅れになったりして処分してしまった。

それ以来、着るものはどんな場合でも、ジーンズにTシャツ、シャツスタイルが定番になった。
式服に一着、黒のパンツスーツがあれば、事足りる。

仕事上の改まった場面では、ジーンズの上にジャケット着用で済ませる。
どちらかというと、堅い職業ではないから、業界の人たちもジーンズが多く、奇異な目で見られることもなかった。

ところが、ワンサイズダウンすると、Tシャツはともかくジーンズはなんとなくおかしい。
テーパードという、膝下から細くなったスタイルを愛用しているのだけど、それも、ぶかぶかゆるゆるで、変なのだ。




お尻のあたりがだぶついて、シニアのおばさんの緩めのジーンズ姿など、見られたものじゃないなと、
娘に撮ってもらった後姿の写真を観て、愕然とする。


若いころの体重に戻った!なんて、喜んでいる場合じゃないかもしれない。
人生は、重き荷物を背負うが如く、生きることはその重き荷物を少しずつ降ろす旅だという。

意は異なるけれど、3キロダウンしたのは、わたしに、そろそろ人生の重い荷物を降ろしなさい。
その重い荷物が、3キロ、ということなのだろうか。
まさかね。







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今日は迎え日ですね。
わが家は、夫と実家の両方のお墓に迎えに行きます。

昨日の話と重複しますが、わたしが活動している、本の読み聞かせ会では、
毎年八月は【 平和 】がテーマになります。
強調文
平和、と一言で決めつけられませんから、課題本を決めるのは、難しくなります。
それは、誰の心にも平和に思うことが、異なるからです。

虐待をされて保護された子どもたちにとっては、暴力を振るわれない、穏やかな暮らしが平和でしょうし。
いじめを受けている子どもには、イジメなどない学校や友人がいることが平和なのです。
八月は戦争がようやく終わった月ですが、読み聞かせ会では、戦争の文字を消し、平和だけを考える月間と捉えています。


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わたしは、【 ウッラの小さな抵抗 】という本を推すつもりでした。

urra.jpg

ところが、主人公ウッラが挿絵に描いたケンケンパの画に、過去の哀しみが刺激されてしまい、作業ができなくなりました。




デンマークは、第二次世界大戦時には、5年ものあいだドイツに占領されていました。

ウッラと親友のグレタの2人は、
ひょんなことから、グレタのお父さんが、ドイツに抵抗する地下組織のメンバーだと分かってしまいます。

そこから、思春期前のウッラは、グレタと力を合わせ、スエーデンに逃れるユダヤ人を助けるのです。
実際にあった話がストーリーになっています。


ヒトラー率いるナチスドイツはユダヤ人を排除するために、
あらゆることを画策し、徐々に彼らの生活圏を狭め、追い詰めていきす。

そのころのヨーロッパのナチスドイツの占領下にあったどの国もでしょうが、
ユダヤ人を差別し、ドイツ側につく人々と、ユダヤ人を助けようと行動する人々に、
デンマークでも、国民は二つに別れていました。


もちろん、見て見ぬ振りをする、無関心を決め込む、少数派の人々も忘れてはいけません。

ウッラの両親は、その無関心派の人でした。
見て見ぬ振りをしていれば、そのうち嵐は過ぎ去るだろう、とだんまりを決め込む人々です。

わたしは、小さなころから、末妹の障害により差別されることを多く経験してきました。
そのころは、末妹を守る気の強い、けれど優しいお姉ちゃんだったのですよ。自分で言うのは、憚られますが。

差別は、わたしたち家族をより一層、末妹を守り愛する方へと導いてくれました。
他人の目という、ややもすれば、人を不幸のどん底に陥れてしまう、
周囲の厳しい目から、妹を守ることが他の姉妹の目標でもあったのです。


亡きわたしの父は、同じような障害をもって生まれた子どもを持つ家庭を訪問しました。
そのころ、障害児がいる家庭では、それら事実を世間から隠していました。

父は、彼らの親を説得し、【 親の会 】を発足させました。

会は次第に活動の幅を広げ、ついには土地の地主を動かし、その土地にわが町にはじめての障碍者施設を建てることに成功したのです。


家庭的な人ではなかった、妻や子どもには厳しい接した方の、父が成し遂げたことでした。

地方都市の公務員として生きた父の、
人生最大の偉業だったと、娘のわたしから言うのはおこがましいですが、思っています。


そんなことを思うあまり、本を推すことができなくなったのです。
私情が入り過ぎてしまうからです。

会議にはかけられませんでしたが。
こうして、ブログでもって、
ウッラたちの功績と、ついでにわたしの家族のことも、みなさまの目に留め置いていただくことができました。

ありがとうございました。







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今日もおしまいでまで、お付き合いをいただきまして、
ありがとうございます。

お盆期間の訪問は、夜にさせていただきます。
ご了承ください。