年金のことで、どうも誤解している方が多いと感じている。(わたしもでしたが)
これは、誤解する方が悪いのではなく、大体が、敢えてわかり難くしているのでは?

と、わたしには思える。

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わが家も夫が65歳になり、今年6月からようやく、年金が支給された。

紆余曲折の末に、夫は定年後も勤めを継続しているので、正直に言うとわたしは、

「 しめしめ、年金支給額はすべて、預金に回せるわ、ヤッタ!!」と、大喜びで手を叩いた。


ところが、捕らぬ狸の皮算用とは、ちょうどこのわたしのこと。
世の中(政管が作った、世の中ということです)、そんなに甘くはなかった。

我々のような勤労所得者は、お代官様にいつまでも、年貢を取りたてられる運命にあるのか・・・・・・。


6月の年金受給額は、かなり少ない額が振り込まれた。
年金は、偶数月に二カ月分「振り込まれる。

その二カ月の合計額から凡そ、マイナス28.000円くらい差し引かれた額が振り込まれた。
即ち、一カ月に換算すると勤務を継続していない場合に受給する額の、マイナス14.000円弱ということになる。


でも、わたしたちは年金ネットのマイページ内で、
いくら勤労所得があると、マイナス幾らか、夫が細かく試算していたので、これは想定内のことだった。

毎月換算で、たとえ15.000円引かれても、勤労収入がある方が、断然、お得だと思う。

ただ、そこのところを、ち密に試算したほうがいいと思う。

年金ネットでは、それが可能です。

年金支給停止ということでは、言葉だけが独り歩きしていて。


定年後も働くと、年金受給が先延ばしになってしまう。

と、ブログなどを読んでいると、大多数の人が思われているように感じる。

そもそも【年金受給停止】ではなく、
受給されている老齢厚生年金の月額と総報酬月額相当額により、年金額が調整されるということです。

【年金額調整】と書けば、えっ年金が停止されてしまうの‥‥‥、
もらえないの、という誤解を招くこともないだろうに。

ここで一つ、、この停止、調整、減額、された年金受給額はどうなるのだろうと思いませんか。

停止されるのだから、一時預かりということなので、仕事を辞めたら戻ってくるのか。
あるいは、その後の受給額に加算されれ支給されるの。

とはならないのです。
減額された額は、一切、戻らないのです。
庶民は、汗して働き、老体に鞭打って精出しても、当然、もらえる年金額を調整されてしまう。

停止にしろ調整にしろ、私たちが希望しているわけではない。
何故、働いたのは庶民なのに。
あなたは、働き過ぎて収入が人よりも多いのだから、平等にする意味でも、減額します。

という年金システムは、そもそも誰がいつ、法案を通したの?















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最近は野党も取り上げなくなった、老後に2000万円が云々、という問題。
わが家の場合、夫が仕事を辞め収入が年金だけになっても、

給与収入があったころと同じようにはできないけどなんとか生活は維持できる。


ではなぜ、2000万円が要るのだろうか。

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昨年の秋、わが家に青天の霹靂ともいう出来事が起きた。
夫の叔母が認知症で成年後見人制度を利用するかどうかという書面が、役所から送られてきたのだ。


突然のしかも耳慣れない文言に、わたしたちは戸惑ってしまう。
日頃のご無沙汰をしていても、叔母とは前年の秋に会ったばかりだった。

認知症も成年後見人制度も、何が何やら、ひょっとして新手の詐欺?
とまで思ったのだ。


ともあれ、老後の諸問題の全ては、そこから始まった。
叔母は8年前に、自分の意思で有料老人ホームに入った。

そのころは、月々にかかる費用は80.000円くらいでさほど、問題になるような金額ではなかった。

ところが、月を追うごとに施設に支払う費用が、どんどん右肩上がりのグラフを描くようになった。
請求書を見ると、わたしたちにはまったく分からない介護の費用がずらっと並んでいる。

お金のことの仔細は省略し、現在、叔母の預貯金の底がついたことの理由を書きたい。

叔母の介護度が上がるにつれ、費用も比例する。
定期預金も、郵貯も銀行も、叔母が入所した9年弱で、おそらく使い切ったと思う。
恐らくというのは、叔母の唯一の身内の夫には金銭のことは一切、教えてもらえないからだ。

叔母の友人であり、叔母が貴重品を預けていた地域の民生委員のNさんに尋ねると、

「 3年目くらいからね、急にお金がかかるようになって口座からどんどん引き落とされてね 」ということだった。

結局、叔母は2千万以上、3千万未満を施設に支払ったことになる。

冒頭に書いた【 老後資金には2000万円要る 】の話にもどると、
2000万円不足、という根拠は、ひょっとして有料老人ホームに掛かる費用ではないかと思うのだ。

もう一度書くと、わたしたちは夫の年金だけが収入になっても、贅沢さえしなければ、生活はできる。

しかし、どちらか一方が認知症や半身まひが残るような事態になり、叔母のように有料施設に入ったら・・・・・・、
やっていけるわけがない。

預貯金があれば、それを崩して施設に払う。
老後資金とは、そういう有料施設に支払うお金なのか。

では、潤沢な預貯金がない場合はどうするの。
詰まるところ、在宅介護、もっと言えば老々介護をせざるを得ない。

叔母のことでもそう思った。
なぜ、もう少し安い費用で、自分の年金収入くらいで賄える施設が、この国にはないの?





【ニッポン死ね!】と誰かが呟いたとか、待機児童の件でだったか。
記憶違いなら、ごめんなさい。
わたしもそれに倣って、大きく言いたい。

どうして、有料老人ホームは、次から次へと建築されていくのに、
特別養護老人ホームは建設しないの?
これは、あくまでわが町のことを言っている。

大阪の地方の、どちらかというと田舎のわが町。
町の高齢者が利用できる特別養護老人ホームは、もちろんない。


なのに、ここ2、3年で有料老人ホームは、2箇所も開設した。
素人が見てもわかる安普請で、あれよあれよと言う間に建った。
噂では、わが家の隣組のYさん宅の、広大な敷地を持つ空き家も、有料老人ホームになるとか。


何故‥‥‥こんな田舎に有料老人ホームが建つのか。

わたしには、それら建物が、高齢者の預金を吸い上げる工場にしか見えない。
僅か、4畳くらいの狭い狭い西陽が当たる部屋に、次から次へと入居者が運ばれる。

まるで、オートメーションの工場のように。

【ニッポンおかしいよ!】老後を安心して暮らせるのはお金持ちだけということなの?

昨日の記事には、介護現場にこそ、腕をもった人工知能を導入すべき、と書いたけど。
その前に、自分の働いたお金で安心してケアを受けることができる施設を建設せず、
なぜ、民間のバカ高い施設を優遇するのか、

わたしは、声を大にして言いたい、叫びたい。

国は、老々と知りつつ在宅介護をするしかない、と、意図的にしているように、
わたしには思えるのだ。










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わたしの両親は、二人とも病名は異なるが、脳卒中に倒れた。
父は、5度目の脳梗塞発作で、ついに還らぬ人となった。
脳卒中が怖ろしいのは、例え命が助かっても、
身体の麻痺を伴い、病後生活の質を落としてしまう事だと、

両親のことで、実感している。


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夫の叔母が認知症になり、要介護度5になった時点で、わたしたちは叔母の介護について話し合った。
叔母を在宅で介護したい、自分が仕事を辞めてそうする、とまで言った夫。

わたしは大反対だった。
叔母に愛情がないわけではない、むしろ愛している。

けれど、認知症や脳卒中を患った人の介護は、プロでも投げ出したくなることがあると言う。

愛情さえも、介護の過程では消滅してしまう危険性をはらんでいる。
そして、その愛情があるがゆえに、介護をできない自分を責め、介護者自身を追い詰めてしまう。


わたしが夫に、叔母の在宅介護を反対した理由の一端は、両親の介護の苦い過去があるからだ。
その過去は、今もって自分を責めることもある。

それは、父の二度目の脳梗塞発作64歳、もう27年も前のことになる。
右半身麻痺、言語障害が残った父の介護をどうするか、姉妹で話し合った。

わが家は、女ばかり4人姉妹で、姉と次女のわたしは嫁いで家を出ていて、三女が家の跡取りだった。

姉妹はみんな、まだ若かったから、子どもたちも母の手がかかる年ごろだった。

結局、母と三女が家で父を介護し、姉とわたしは時々、妹に代わる。
そんな取り決めを姉妹の間で話し合ったのだ。

その頃の世間の風潮は、老人ホームになど親を入所させると、
子どもや連れ合いは、大げさではなく人非人扱いだった。

「 自分の親をよくもまあ、姥捨山に入れるね! 」と、言うような。

父の介護のメインは母、三女は夜に交代する。
介護を始めた当初は、バリアフリーも整っていない家で、レンタルの介護ベッドを使用し、
その横にはポータブルトイレを置くだけのスタートだった。


古い家屋の床は畳敷きのまま、トイレもお風呂場も、洗面所だって、バリアフリーなどからは程遠い。

利き手が使えないことは、食事、排せつなどの日常の様々な動作に不便を伴う。
水道栓にはタオルを巻くと、左手でも使用可能になると、作業療法士さんに教えてもらい、練習の末できるようになった。

食事はスプーンを持った左手でも食べやすいように細かく刻み、
滑り止め付の食器に盛り付けることでこれもまた、何とかできるようになった。

父もよく耐え、頑張った。
こうして父の自宅介護がスタートしたのだ。

姉とわたしは、やれ子どもが熱を出した、仕事の段取りがつかないなど。

当初の約束はどこかに行き、自分の親の介護もできず、母と三女にほぼ任せっぱなしだった。
たまに実家に帰って、母と三女と交代しても父の介護は楽なものではなかった。


脳卒中の後遺症で、言葉を無くした父は、何かにつけて苛々と、介護するわたしたちに当たり散らす。
穏やかな父が、豹変する様を見るのは耐えられない思いになる。

意思の疎通ができないと、母の作った料理を投げつける。
そして、昼夜転倒し、夜になると母や妹を起こすのだ。

母と妹に疲れが目立ったころ、わたしは三日間、二人と交代した。
温泉旅行に出したのだ。

父のベッドの横に置いたサイドベッドに寝ていると、父がわたしを起こす。
ベッドの柵を、指先でカンカン、コツコツとリズミカルに叩く。
それでもわたしが起きないと、麻痺のない左手で枕を、わたしのお腹に投げつける。

それが一晩に何度もなんども。
静かな夜に、響き渡るカンカン、コツコツは耳を塞いでも聞こえる。

一晩でわたしは、家に帰りたくなった。

目を覚ましたわたしに、父は水をくれとか、布団を直してとか、言うのではなく。
ただ自分一人で起きているのが嫌で、起こすのだと分かった時、

わたしは、寝不足と怒りのあまり、父を怒鳴りつけた。
わたしの怒りに驚いて、眠る父を見ながら、後悔の涙が次から次へと出てくる。


本当に情けない思いでいたのは父なのに。
突然、身体が不自由になり、今まで出来ていたことが出来なくなる。
そんな自分に腹立たしいのは、父のほうであるのに・・・・・・。

帰りの車の中でワンワン泣きながら、たまにしか行けないのに、
なぜ、私は父に優しくできないのだろう。

と、自己嫌悪に陥り自分を責めることしかできないあの日々。

介護とは、極端に言えば、親の命が尽きるときが、終わり。
それは先の見えない暗闇を彷徨っているような感覚に捉われる。

そして介護の疲労は、目に見えない形で、介護者の体と心に、
とれない疲労となって積み重なっていく。
介護は、愛情と責任がある分、介護者の疲労が大きくなる。

その疲労は、思わぬ形で患者を殺めたり、殴りつけたりすることに繋がる。

AI寵児を生んでいる今こそ、認知症患者や脳卒中患者の介護という分野に、感情を持たないAIを導入すべきだと。
わたしは、心から思う。








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